電話で話したくない

by

in ,

20170303111049b4b.jpg
 電話に出ない、電話で話したくない、という人が急速にふえている。
 主に若者とおもっていたら、近頃老人も電話にでるな、オレオレ詐欺にひっかかるから、という理由で家付きの電話は危険物扱いになった。
 この間まで家に電話があることは生活の必要条件だったが、いまではめいめいに携帯電話があればそれで良し、個人がコミュニケーションの単位となり、家は消えつつある。情報ホームレスがほとんどで、家はないかもしれない、住所は秘密情報という訳で、わからない浮浪児のような人間がふえている。
 スマホやパソコンで生きている世代には、人と話ができないという種族が発生した。
 話の相手はパソコンやスマホで、機械なら自分の意思を発することはできるが、生身の人間では相手にできない。先輩にたいしても平気で、メールでください、そうしたらお返事します、ぬけぬけと言う。礼儀をわきまえない人間たちだから、どこが悪いの、といった反応である。
 人間同士向かい合った時の、言葉使いや、表情や呼吸から読み取るというコミュニケーションの重要性や、固有な感情の読み取りができないから、記号化された用件のみの付き合いになる。ロボットのような事務仕事ならそれでもいいが、人間同士の付き合いにはひどく希薄な関係しか生まれない。しゃべることが億劫だという人間の増殖など、20年前までは想像もできなかった。
 家の電話に掛かってくるのは、商品の売り込み、銀行のご挨拶、電話の契約変更、選挙の応援依頼など、ほとんど無意味なものばかりになった。それでもたまにFAXなどがくることがあるので、止めることもできず無駄な金を払っている気分である。
 携帯の高い料金に追われながら、アベノミクス生活改善の恩恵は受けていない、と左翼は叫ぶが、みずから貧困な環境に自分を追い込んでいるのではないか、お話嫌いのスマホ人間を前にそんなことを感じている今日この頃である。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ