電柱だらけの避暑地

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電柱だらけの避暑地
 2016年12月にようやく「無電柱化推進法」が通った。
 これでこの国の街並みも先進国並みに風景になるめどがついた。 カメラを向けるとよくわかるが、都会の風景は東南アジアの後進国の景色と酷似している。どこにいっても電柱、電線が威張っている。
 軽井沢も優れた別荘地と自称するが、電線が森の中まで入り込み、さらになにやら黄色いビニール状のものに包まれて、森の緑をぶち壊す。軽井沢銀座と称する商店街も電線だらけだ。電線、電柱のある風景は後進国の象徴みたいなもので、リゾートとしていちばん先に解決すべき問題だと思うが、行政の思いは低く、100年計画などという荒唐無稽な計画には熱心だが、頭の上にぶらさがつている電線、電柱には無反応という恐ろしいことになっている。
 学生時代、ドライブをするとすぐ電柱のまえで止まる仲間がいた。かれはアメリカンな大きな車にのっていたが、電柱のまえにくると止まるのだ。それも広告看板のついていない電柱のまえで止まる。そのあたりの人通りをチェックし、陽当たり具わいをみ、周りののビルや家並みをみて車に戻ってくる。
 電柱会社へ広告発注する下調べなのだ。かくて東京の繁華街や裏通りの電柱は、「美容整形」の看板に占領された。 いま彼は日本一の美容整形病院の院長になっている。
 かって電柱はコールタールにまみれた黒い電柱だった。その電柱には××小児科病院のブリキの腹巻やら、生徒募集・柔道教室・この角右へ などと近所のコミュニケーション・ツールとして活用されていた。
 その上に無造作に「乳もみれうじ」やら「ドモリ30日矯正」のビラが貼られていた。その電柱に貼られた一枚のビラから、ドラマをつくつたこともある。脚本は寺山修司だった。
 いよいよ日本中から電柱がなくなるメドはついたのだが、全電柱地中化まで何年かかるか、そのときの喜びには出会えないだろう。
 その時いちばん困るのは近所の犬たち、オシッコの目安が突然にきえてしまったのだから……。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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