雨ニモマケズ風ニモマケズ…

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 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 欲ハナク 決シテイカラズ イツモシズカニワラツテイル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコワガラナクテモイイトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ
 宮沢賢治のこの言葉は、4月11日ワシントン・ナショナル大聖堂に於ける東日本大震災追悼ミサにおいて、サミエル・ロイド三世によつて献辞された。
 東北人は無口で忍耐強い。地震にも大津波にもじっと耐え、やがて来る春をじつと待っている。春は必ず訪れることを知っている。「命があるだけありがたい。こだなときだから、皆でのりきらねど。」東北地方は格段に寒さが厳しい。寒さに耐えることに始まって、困難に立ち向かう粘り強さが作られた。年間日照時間も全国平均に比べ256時間も短い。与えられた過酷な環境を受け止め、黙って仕事に向かわないと暮らしていけない。東北人特有の真面目で忍耐強い気質は自然風土に鍛えられて育ってきた。もの静かだけど、互いに声を掛け合う助け合いの心にみちている。決してスマートではないが、人間味の深さこそ、みちのくの文化ではないだろうか。
 「忍耐は苦い。しかし、その果実は甘い」会津に生まれ、世界的細菌学者になった野口英世の言葉である。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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