一ヶ月余りのパリ撮影行から、帰軽しました。
今回は望遠レンズ、標準レンズ、広角レンズを携えての撮影行だったので、充実した成果を得ることができた。助手を務めてくれたパリ女性劇団セラフの川岸紀恵さんに感謝。また2018年度パリ展に向けて、酒井会后子さん、横山純子さんらにもいろいろと世話になった。
事務所の高橋亜矢子さんが苦労して作ってくれた旅行日程もほぼ100%に近くこなすことができた。
セーヌ川河口にあるオンフルール行も、アルザスのコルマール行も、さらにエッフェル塔のディレクターから示唆されたノルマンディのヴール・レ・ローズも無事撮影することができた。
予想外だったのが、最後の一週間に遭遇したセーヌ河の洪水だった。何事もないように静かに流れているセーヌの水位がいつの間にか6メートル以上も上がり、ルーブルもオルセーもみな閉鎖してしまったことだ。
セーヌに浮かぶバトー・ムーシユも観光船もすべて橋のしたを航行することができず橋と橋のあいだに雪隠攻めの呈よろしく、動けなくなってしまった。世界中から来ている観光客も途方にくれて、呆然とセーヌの流れをみているばかりだった。サンマルタンの運河ツアーは、初めのころすましていたので被害をまぬかれた。
雨のため唯一撮影不能だったのは、ペール・ラシェーズのお墓の撮影、ショパンもピアフもオスカー・ワイルドも無事に洪水の被害をま脱がれたかどうか、ちょっぴり心配ではある。
雨の初日にヴール・レ・ローズに行くために、サンラザール駅に向かった。そこに待ち構えていたのが水の流れる大理石のフロア、見事に足を取られ右足の半月板を傷つけてしまった。インテバンとサポーターで、ごまかしながらその後の撮影はすましたが、帰国次第早速に中軽井沢の大窪先生に通っている。
とりあえずのご無沙汰、お詫びかたがたの帰軽報告である。
雨のパリから帰国して…
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おかえりなさい
おみ足お大事になさってください。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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