難聴というヤマイはない。

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 かってラジオやテレビでともに仕事をした仲間と、友人の消息をさかなにティータイムを楽しんでいた。「ほら知っているだろ、あいつ近頃耳が遠くなって…」「そういえばレコード・プロデューサーだった彼も、近頃スピーカーからでる音楽が聴きずらくて、レシーバーで聞いているっていっていたなあ」その時口をはさんだのはベガスの友人、「あらアメリカにはいま、耳が聞こえない病気はないのよ。ベガスに来ればすぐ治せるわ」えぇっと皆耳をそばだて「何故だ」という視線を彼女に向けた。
 耳が聞こえなくなったら、病院へいって埋め込んでもらうのよ。なにお? ほら、あの小さいチップよ。耳の奥にそれを埋めてもらえば、ザッツ・オッケー。とてもよく聞こえるようになって、なんの問題もない。補聴器だって雑音ばかり拾ってとても疲れるって話じゃないか。いいえ、それは昔のはなし、いまではノイズはすべてカットされてクリアに聴こえるの。どうやら彼女のボーイフレンドもそうしているようで、話にあいまいなところがひとつもない。
 ベガスのミュージッシャンのなかに、そのチップを埋めてステージに立っているアーティストもいる。いつも耳のリモコンをポケツトにいれていて、後ろからくる音も自由に100%聴こえる超スグレモノだという。休日の午後や、散歩のときはリモコンで音を消しているととても快適だそうだし、ふたりだけの時はすこし音をしぼってささやくととてもロマンティック、あらためて静寂という贅沢な時間を持てる。寝るときも無音にすると実に静かでいい。だからチップを埋めてから、耳の幸せをふんだんに楽しんでいるのよ。…
 人間が少しずつアンドロイドにちかずいているような気もするが、都会の無意味な喧噪のなかで生活するには、必要な装置かもしれない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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