8月16日午後、不幸にも東京駅に遭遇した。
台風、ゲリラ雷雨、線状降水帯、竜巻など次々と襲い掛かる異常気象に東京駅はかって経験したことのない次元の違う混雑に見まわれていた。
駅の構内は、ホームも、階段も、改札も、切符売り場も、ホールも、通路も、飲食店も、ケーキ売り場も、グランスタも、エキュートも、スペースのあるところは、すべて人間とキャリーケースに埋め尽くされている。
何万人の旅行者が滞留していたか判らないが、ほとんどの人がみな大きな車付きキャリーケースを従えている。
CCやら、FFやら誇らしげにイニシャルいりのケースから、ドンキで売れてるド定番・拡張ジッパーキャリーまで世界のキャリーケースの見本市のごとき景色を現出していた。ケースの色をみるとなんとなく主の出身国がわかる。シースルーのジャケットに寄り添っているケースは品のいいホワイト系にアクセントのひと色といった印象、見るからに濁った原色系は南の国とかアフリカ系のお客様、異常に大きい不思議な色のキャリーケースは中国または韓国からのインバウンドである。
人間ひとりにほぼキャリーケースが壱台ついて回ているのだから、5万人の客に5万個のキャリーケースでは、さすがに広い東京駅も間に合わない。人とキャリーをかき分けて歩くのは、大変に気のつかれる作業だ。
あきらかにヤマトンチューの家族ずれも多い。限界集落にすむオバアチャンを訪ねて田舎をめざしているようだが、男の子はトイレの我慢ができずキォスクの横の柱ですまし、女の子はグズッテ通路の隅に寝転んでいる。
黒い南の人達は地下の食堂街に通じる階段にずらりとすわりこんで、慣れない駅弁に食いついている。混雑に卒倒して倒れたお姉さんは待合用の椅子のしたに寝込んで友人が懸命にあおいでいる。
経験したことはないが、「難民キャンプ」とはこんな状態なのだろうと想像しつつ、かろうじて北陸新幹線はくたか568号に滑り込み、軽井沢へ帰ってきた。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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