わが家の庭でまま雉子(きじ)の鳴く声がする。 愛する人へのアピールでもあろうか。 しばらくして庭先をゆっくりと歩く雉子の美しい姿をみる。森のみどりに宝石を落としたかのような異次元の美しさだ。
今年の祇園甲部の温習会に、この「雉子(きぎす)」がでた。今様ならばキジと読むべきところだが、古くからの読み方でキギスと振り仮名がある。
舞手は甲部を代表する芸妓・竹葉さん、数年前には祇園芸妓、舞妓を束ねる芸妓組合の組合長を務めたベテランであり、名前に葉のつくお姐さん方の長でもある。 売れっ子多満葉、福葉、を始め満奈葉、満友葉、恵里葉、つる葉と、多くの妹さん方のめんどうをみている。「厳しいお姐さんの下につくと、芸舞妓もしっかりと育ちますさかい…」とお茶屋の女将さんは云う。
笛の名手藤舎名生の切ない浪々とした響きに支えられ、狂人となってしまった恋人に寄り添って、雉子なく野辺をさ迷う傾城吾妻の心情を、深く舞った竹葉さんの姿に心打たれた。不自由な足腰を超え華をたもち、老境を迎えた竹葉さんの舞姿に拍手した。
豆千鶴、多満葉の仲良しコンビによる「松風村雨」も本行の振りと世話振りの組合せが面白く、井上流ならではの作品だった。
丹前物と言われる「高砂丹前」に、江戸初期の舞見世の片鱗がうかがえ、花槍のさきに河原舞台の昔のおもむきが見えた。
江戸方のお師匠さんたちが、ひそかに通う祇園甲部の温習会をあらためて堪能した歌舞練場であった。
雉子(きぎす)鳴く
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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