雅子皇后への心配事

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雅子皇后への心配事
 いよいよ徳仁天皇誕生、2019年1月1日に決定! と報道された。
「徳仁天皇」と「雅子皇后」が誕生する。元号が改まり、新しい天皇、皇后が即位されるのだから、国民は期待に胸膨らませ、世の中は一気に明るくなる。筈なのだが、気分は一向に高揚しない。
 何故かと考えるに徳仁皇太子と雅子皇太子妃に、天皇の後継にふさわしいイメージがない。天皇皇后を見習って、被災地のご訪問をされても、現地の勉強をされずに一通りのお言葉だけで、尊崇の気持ちが湧かないご夫妻だと、被災地の人々からきこえてくる。
 賢所における宮中祭祀にしても、ここ十年、雅子妃は一度も列席していない。
 適応障害、つまり宮中におけるいろいろの祭儀に参加できない病なのだ。国民のために祈る立場の天皇家にとって、もっとも相応しくない病を患っているのが雅子妃なのだ。
 こうした人が天皇家を継ぐというのは、国民にとって釈然としないのも当然だろう。
 皇太子が折に触れ新しい皇室像を等といわれると、神道の家元として「国家国民の平穏無事を祈るという祭祀」を止めてしまうのではないかとすら、勘ぐりたくなる。
 正月の歌会始に詠まれる歌にしても、雅子妃は吾子愛子のことばかり詠っている。
  十一年前吾子の生まれたる師走の夜 立待ち月はあかく照りたり
  月見たしといふ幼な子の手をとりて 出でたる庭に月あかくさす
  那須の野を親子三人で歩みつつ 吾子に教ふる秋の花の名 ……
 見事に愛子愛子で、徳仁天皇即位とともに皇后として、国母の役割りがまっているという意識が全く感じられない。
 これでは雅子皇后になるよりは、小和田雅子になった方がはるかにいいのかもしれない。


コメント

1件のフィードバック

  1. 即位後、賢所における宮中祭儀がきちんとこなされるのか?
    とても不安です。
    神のご加護が受けられなくなった日本が誕生するのか?とか

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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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