…… 一番初めは一之宮
二は日光東照宮
三は佐倉の宗五郎……
江戸手毬唄の始まりは、富岡一之宮の貫前神社と決まっていた。
黒板塀の前の小路では、少女たちがこの手毬唄にのせて毬と遊んでいた。 小学校の休み時間にも校庭の片隅で何人かの少女が、手毬唄を唱和していた。東京の子供たちは皆手毬唄を通して、日光東照宮より偉いお宮があることを教えられた。
ここ富岡の一之宮貫前(ぬきさき)神社は1400年前に創建されたと伝えられている。小日光とも呼ばれ、総漆、極彩色の社殿は眼も眩むほどに美しく、国の重要有形文化財に指定されている。世界遺産となった富岡製糸場とともにここ一之宮貫前神社は、富岡の大きな財産なのだ。
その関東一之宮貫前神社に初詣に行ってきた。200段ほどの急勾配の石段を登り、総門に至ると今度は100段近く下って社殿に至る非常に珍しい形の神社である。
東京が大地震に襲われたら困るし、大津波にやられてもオリンピックが出来なくなる。ましてや富士山にも爆発して欲しくない。
拝殿に上り、お祓いをうけたのち、奥殿のまえで正しく二礼二拍手一礼して、神官から名前入りのお札を受けてきた。拝殿の前で投げ銭をして拝むのとはえらい違いだ。
正しく神と向かい合い、歴史と対峙して、祈ってきた気分の初詣であった。
関東一之宮への初詣
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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