東北新幹線、新青森駅でリゾートしらかみ秋田行に乗り継いだ。
車窓には、昨日田植えが終わったかの田圃とリンゴ畑がえんえんとつづく。弘前につくと列車は丸ごとスイッチバック、いまきた線路を川部まで戻る。川部で再びスイッチバックして五所川原を目指す。五所川原には、かの太宰治の生家斜陽館がある。そのひとつ手前がめざす陸奥鶴田である。
陸奥鶴田の駅前には、アパホテルもなければ、不動産屋もない。ただひとつ開店休業のような「お母さんのあじ」とかかれた居酒屋風な店が眼についた。
それでも駅前には鶴のモニュマンがある、駅舎も鶴のかたちを模している。シャッターに描かれたペンキ絵も鶴なのだ。みちのく銀行も、役場も、廃校も、郵便局も、ゴミ捨場も、用水路のフタも、レトロな街灯も、マンホールも、広場のシンボルも、道の駅も、みな鶴、鶴、鶴、鶴のモチーフにいろどられている。かって鶴の飛来地だったというこの町は、先代の町長さんが音頭をとって長寿の聖地として目出度い鶴の町作りを進めてきた。
平成6年7月6日、青森県産のひばを使って日本最大の木造三連太鼓橋、「鶴の舞橋」長さ300メートルが完成した。たたずまいは鶴のめおとが大空を飛翔しているようにも見えて、津軽一の岩木山を背景にゆるやかな太鼓橋が見事な造形をなしている。間違いなく日本三名橋のひとつに数えられるだろう。
山口の錦帯橋、宇治の大橋、そして津軽の鶴の舞橋、日本伝統の技術と造型感からいったらこの橋が日本一といえる。来年のパリ展で、にほんの橋の素晴らしさを見せたいと撮影にきたが、折悪しく梅雨入りのど真ん中映像はふたたびのチャレンジとなった。
20年たらずの年月で、何もなかったこの町を見事に目出度い長寿の聖地として、鶴を主題に作り上げた町長の努力は素晴らしい。素朴な津軽の人々は、とうとう鶴田には吉永小百合もきたと、大満足である。
わが町軽井沢は、100年計画を掲げ大学の先生に金を拂い、議論だけが進んでなにも変わっていない。
長寿の聖地・鶴の舞橋
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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