「ちらしをいっぱい作ったから大銀杏の先生に届けてきて。」溜うるしの桶に入ったちらし寿司を抱え、大銀杏の木の横にある先生の家へ行く。先生は留守だつたので、鍵のかかっていない玄関を開け、上がりかまちの廊下に置いて帰ってきた。名前もなにも書いてこなかったけど、あくる朝にはお返しのマツチが添えられて寿司桶は返ってきた。昭和の初め下町本郷の辺りでは、玄関の鍵は無用の長物だった。
のちに杉並に移った。お出掛けの時は必ず玄関の鍵を掛けることと、教えられた。鍵は玄関脇の植木鉢に隠した。友達の家も同じだったから、多分気休めの程度だったろう。
時代劇では盗賊たちはいつも白い土蔵の前で、大きな錠前に挑んでいた。白い土蔵のある家はたいてい悪代官の通う豪商だつたので、黒い錠前はお金持ちのシンボルだった。
1970年代、ニューヨークに通うようになつた。初めてマンハツタンの友人のアパートを訪ね、重いドアの内側を見て息をのんだ。鍵が五つも付いていた。これだけ鍵がついていても安心できないという。憧れてきたアメリカとは、なんだったのだろうとそこから疑問が生まれた。
フランス王ルイ16世は鍵が大好きだつたと伝えられる。革命で囚われの身となったときも、牢獄で鍵作りに励んだ。権力の象徴であった鍵に対し、最後まで夢を託して断頭台に消えた。ルーブル宮の横に架かるポン・デザール(芸術橋)には、恋人たちの誓いのシルシとして何百という錠前が、橋の両側につけられている。
今年引っ越した事務所のかぎは、今風のカードとなつて味もそっけもない。パンチングとICから出来ているカードキーは安全かもしれないが、鍵から歴史と物語を奪ってしまった。キーワードも、キーパーソンも、鍵小説も死語になつてしまつた。
鍵と錠前とカードと。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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