銭まみれ、恋まみれの五輪選手

by

in

銭まみれ、恋まみれの五輪選手 銭まみれ、恋まみれの五輪選手
 リオ五輪もようやく峠をこえて終わりが見えてきた。
 これで課題が見つけられたので、東京20に向って頑張ります、負けた選手の言い分に呆れた。いままでその課題とやらを克服するために税金で練習してきたのではないのか。
 メタルだけは、沢山とつたのでテレビや関係者は、お互いに称え合ってシャンシャンだろうと思われるが、日本人のスポーツとして再構築する点はないのか、スポーツ関係者の猛省を促したい。
 気になるのは、金まみれ、芸能まみれ、のスポーツマンが軒並み馬脚を現したことだ。
 第一は選手団団長として旗手を務めた吉田沙保里…永年アルソックのCMで浮かれていたが、今年からマネージメント会社と契約、取材一回につき3万円を要求し叩かれていた。7月の五輪壮行会も、2万円会費と祝儀袋で三千万円を集めたといわれ、政治家の資金パーティ並みと報じられた。
 もはや銭ゲバと化した吉田沙保里は決勝に敗れ、「霊長類最強」のレッテルはもろくも消滅した。
 第二は愛ちゃんと呼ばれ、アイドル化していた福原愛…イケメンの台湾選手との恋に溺れ、入場式ですらその恋人と写メして浮かれていた。もはや日本を代表しての選手意識はゼロ、SNSには中国語でシアワセ、ウレシイと書き込み、試合は後輩に助けられなんとかなったが、自らも認めた足の引張り役。
 ティファニーのネックレス、ティファニーのペンダント、ティファニーのブレスレツト、ティファニーのイヤリングを付けて試合にでる福原には、スポーツマンとしての真摯な姿勢は全くなく、ティファニーの広告塔そのものであった。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ