ひさしぶりに秋の東京と向かい合った。
銀杏の黄葉の美しさに溢れていた。皇居のまえ、霞が関の辺り、神宮外苑どちらをむいても銀杏の黄葉が見事だった。
黄色い葉をとおして降り注ぐ秋の陽の光の束が、コンクリートの街を黄色にそめて、ほんとうに美しかった。
子供のころ、本郷東大のまえの西片町に住んでいた。
秋の終りの大風のあくる朝、決まってちいさな笊を手に校内の奥にある三四郎池にむかった。池の水面には銀杏の黄葉が溢れていた。
つよい匂いを避けながら黄色くそまった道のぎんなんを拾った。笊はたちまちいっぱいになり、嬉しさをかみしめながらふかふかの黄色い絨毯の帰り道を急いだ。
ぎんなんを割り、ちいさな鍋でいる火鉢のまわりが嬉しかった。焼いたぎんなんはちいさな秋のご馳走だった。
「鐘つけば 銀杏散るなり 建長寺」 夏目漱石
この元歌から正岡子規の有名句が生まれた。 「柿くえば鐘が鳴るなり 法隆寺」
いまでは子規の句が元句のようになつているが、親友漱石への畏敬から生まれた句ときけば子規の漱石への傾斜が伺える。
銀杏の黄葉が美しい
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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