朝のギンブラを楽しんでいるのは、ほぼ中国の人々だ。
朝から自転車に乗って疾走しているのは中国人だ。
銀座でモーニングをやっているカフェにいくと中国のカップルが多い。
銀座5丁目の表通りにある旅行鞄の店は、5,400円均一の旅行ケースを表にだしている。中国人が群がって買っている。昨日買いすぎたお土産がホテルの絨毯にとっちらかっているのだろう。
あの広大な中国で自己所有を認識するためには、原色のはっきりした色が必要になってくる。従って日本人ならすこし引いてしまうようなピカピカ色のケースに、中国人の関心が向く。
それにしても中国という隣人は凄い。凄いというのは悪い意味でも、いい意味でも凄いといえる。
日中国交20周年のとし、筆者は演出として北京国際劇院の舞台にいた。
一年も前から二度三度と打合せをして日本と中国の歴史をたどった日中同時代の衣裳比較のショウをやることになった。日本側からのモデルと中国のモデル、そして両国の芸能がからんだグランド・レビュウである。
北京大会宮殿における歓迎晩餐会の料理は一生で一番の素晴らしい料理だった。
が本番前日に大変なトラブルが持ち上がった。 日中両国の衣裳のなかに少数民族の衣裳がないではないか、という中国共産党からのクレームがきた。そんなことは半年前にいってくれ、というのがこちらの言い分だが、中国側は共産党の要求に逆らえない。急遽八つの少数民族の衣裳を出演させることになった。
モデル香盤の変更、音楽の手配、照明プランの作成等々、大変だったがなんとか乗り切って国交回復記念晩会は大成功に終わった。
この時中国における共産党の考え方は、すべてに優る「神の声」だということを悟った。
日本観光に伴う中国人の爆買いも三年程でぴたりととまった。銀座でもデューティフリーの中国人御用のフロアを作ったデパートはいまはことごとく閉鎖に追い込まれた。
チャイナ・リスクと云われているが、あんなに沢山いた中国の観光客が、ある日突然に消えるということもある、ということを常に心しておかねばならない。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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