犯人は広尾の女親分である。
銀座のアスター本店の総料理長が変わったので、試食会をやるから出てこい、というお達しだった。
事前にいろいろとご案内を頂いていたのだが、状況をまったく把握できないまま当日を迎えた。
ドレスコードはハーフ・フォーマルというので、まあこれでいいかとエトロのジャケットとチーフ、ノータイで出掛けた。
会場についてまず驚いたことに、女性はみなキモノ姿、紳士はタキシード、蝶タイ、しまったと思ったが後の祭りである。
銀座を愛する大人たちの集まりだった。新婚のハーフ嬢までキモノをきこなしている。
漢字の並んだメニューを頂いていたのだが、総料理長お披露目のガンバリを仔細に眼を通していなかった。
日中国交回復20周年記念のおり中国側が開いてくれた、北京大会宮殿の宴席にまさるとも劣らない中国宮廷料理が次々と登場した。
前菜の肉団子には金箔がかかり、大菜の始まりは鮫の鳳凰の尾飾り見立て、皇帝海老などこの上なく贅をつくした宴席であった。
集った大人たちはそれぞれにプレゼントの交歓を楽しみ、親分からカラッポのトランクを引いてこいと、言われた意味も納得した。
手に入れたかった我が師匠ロベール・ドアノウの写真集をわざわざ持ってきていただいた光栄にも浴した。
帰途東京駅まで本橋さんに送り届けていただいたのだが、どっさりのプレゼントに気をとられ、バックを車内に忘れ皆さま大変ご迷惑をかけてしまった。
老骨はクリスマスの銀座などに出掛けてはいけないというイマシメだったのかもしれない。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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