かれこれ四半世紀前のできごと。
京都西陣のとあるキモノ・メーカーが経営危機に陥った。経営者の時代の読み違えや、生産ラインの硬直化など原因はいろいろとあったが、社員はみな社長が引退し、長男が継いでくれれば、再生への道はあると信じていた。
ところがその人望ある長男が、何代か続いた家業をあっさりと棄ててしまった。もうキモノは創らない。僕は野菜を作る。といって野菜作りに転身した。かといって畑づくりのイロハからやれる筈もない。北白川のどこかで、ビルのなかで葉物野菜をつくっているという噂が聞こえてきた。何か月かたったある日、見知らぬ会社から大きなダンボールが届いた。なかにはなんとも美しいレタスがはいっていた。
あれから何年「銀座のはたけ」という噂をきいた。
日本一土地の高い銀座で、ちかごろは畑をやろうという人がいる、という。先見の明というか、それともただのオバカさんか、銀座のハチミツは、銀座のビルの屋上から飛び立った蜂たちが、皇居の森へ飛んで行って花に親しんで銀座にもどるというので、それなりの説得力はある。
が銀座の畑でとれたレタスでございます、そういわれてもいまいちゾッーとしない。若い人たちが、デートの話題がわりに、銀座のハタケで獲れたサラダ最高と喜んでくれても、味オンチじゃないのと軽くいなされる、位が落ちか。
文具の伊東屋11階には野菜工場がある。そこで獲れた小松菜は一階のドリンクバーで飲める。上のCafe Styleでは、11階のハタケで獲れたサラダ、フリルレタス、ルッコラ、ケールなどをメニューにしている。
一丁目の青汁スタンドの横に水田をつくり、アイガモ農法でコメ作りをした銀座農園は、交通会館マルシェを手始めに、農家と自治体のシェア・オフィスとして、銀座ファーマーズ・ラボを運営するかたわら、泰明小学校にシャルドネを植えて来年には収穫して銀座ワイナリーを目指しているとか。
白鶴銀座では、屋上の天空農園で育てたお米からお酒を造り、今年の四月に松屋と三越で販売した。
いまのところどこの農園も話題づくりでしかないが、気がついたら銀座はハタケだらけ、という日が来ないとも限らない、中国大陸からの爆買いが消えて、デューティ・フリーを掲げた店はみんな困っている。
では「銀座のハタケ」をやりますか。
銀座のハタケは如何
コメント
1件のフィードバック
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銀座の真ん中に農場を持ちたい!
もし、お金持ちになったら…
東京に出てきた時から思っていましたが
私の妄想は誰かが叶えてくれます
自分は何もできないでおりますがw
今年の野菜の高騰では
太陽の光を浴びない天候に左右されない野菜もアリなのかな?
と考えさせられました。
大農場にお嫁に行くのが夢だったんですよ~(爆笑
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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