軽井沢から日光へ行く最短景勝ドライブは、奥日光に通じる金精峠を走ることだ。
冬のあいだは積雪のため通行止めになるので、新緑の若葉から紅葉の今ごろまでが絶好のシーズンである。
ところでこの金精峠という名前の絶景こそが曲者なのだ。金精様となんの疑いもなくよんでいるが、この金精様こそが傾国の臣「弓削の道鏡」のことである。道鏡は法相宗の僧であったが、その透視力、託宣力により奈良の女帝・孝謙天皇の寵愛をえた。
俗説によると道鏡の巨根と孝謙天皇の巨陰が一致して相思相愛に墜ちたと伝えられているが、宇佐八幡宮の
神託により、道教こそ皇位につくべしとの予言で一大騒動となった。その道鏡が都を追われ、この峠に差し掛かった折、わが身の恥の巨根を切り落として祀ったとされているのが、金精神社であり、金精峠と伝えられている。
このほか権力者に近ずいた悪人は、数限りなく存在するが、なんといっても西洋においてのベストワンは、ロシア・ロマノフ王朝の崩壊に関わった怪僧ラスプーチン。青酸カリでもピストルでも死ななかったラスプーチンの伝説には鳥肌が立つ。
なぜラスプーチンや道鏡のことを思い出したかというと、韓国朴槿恵大統領を操っていた崔順実とその後ろに控えていた謎のホスト、コ・ヨンテなる韓国政界をゆるがしている怪事件があるからだ。もはや完全な死に体となった朴槿恵だが、私が一人ぼっちになったとき傍にいてくれたとか、本当に苦しかった時助けてくれたとか、世迷言をいっている。
そこには間違って大統領になってしまった愚かな女がいるだけである。
金精様・ラスプーチン・朴槿恵
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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