金箔に溺れる

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 世界的な不況のなか、金箔の街金沢を訪れ、ささやかな黄金のジパングを体感した。
 百万石通りを走って、いちばんに眼に飛び込んだのは、商家の店頭に飾られた金泥たっぷりの「一期一会」の大掛け軸だった。
 町のあちこちに金箔工房やら、金箔座の看板がある。添え書きにみな金箔体験できます、とある。同行のゴールド・マニュアは早くも興奮気味とみてとれる。近江町市場の寿司やの看板には、海老のあたまに金箔が散らされ、まぐろにも金箔がそえられてある。酒屋では金箔入りの目出度い酒が並らび、金のお銚子が奥で売られていた。
 ひがし茶屋街の箔座には秀吉の黄金の茶室が再現され、金喜箔躍がテーマ・コンセプトとはこの上なく景気がいい。本純金箔4万枚が使われているという。純金プラチナ箔の小物入れ、小箱、ボウル、トレイ、アクセサリー、金ぺいとう、黄金の焼き菓子、永遠色金のボールペン、箔入りコスメの数々、割り箸をさくと金粉の散るぱっきん箸、と「道草しながら箔めぐり」には充分すぎるほど多くの金箔ワールドがあった。近頃女性に人気の「あぶらとり紙」も箔打ち、箔移しの副産物とは知らなかった。
 金の産地にもかかわらず、幕府のお布令により長い間「隠れ打ち」で我慢を重ねた加賀藩の怨念が町中に、爆発したかのようだ。第一次世界大戦後、ドイツ箔が追放され、初めて金沢箔が世界一になつたときの喜びが聞こえてくる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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