金儲けのための「侍ジャパン」

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金儲けのための「侍ジャパン」
 ついこの間、王さんの監督でイチローも頑張って、世界一になったWBCワールドベースボールクラシックとはどうも違うらしい。4年に一度開かれるという点では同じらしいが、「プレミア12」というのが、胡散臭い。
 野球ランキング12位までの国を招待して開かれるというが、誰が、何時、何処で選考したのかも良くわからない。それにベスト12というが、アメリカのメジャー・リーガーは参加しないというのだから、ますます変だ。
 毎夜のテレビ中継で、逆転につぐ逆転、日本の選手が活躍しているのは、たいへん嬉しいが、緒戦だけ日本でやって、あとは照明の暗い閑古鳥のなく台湾でする、というのもどこか不自然だ。
 良く聞いてみると、この第一回プレミア12は日本ですべて開催する予定だったが、テレビの放送権料、スポンサー料にたいする日本側の取り分要求があまりにも高く、ならば台湾主催へと主催団体が方針転換したというのが、真相だそうだ。
 日本の選手、日ハムの大谷も廣島の前田も、殊勲賞の中田も自主参加で、ひたすら野球のために頑張っているのかと思いきや、なんと株式会社NPBエンタープライズなる会社を設立、主たる事業は「侍ジャパン」による収益事業ときいてガッカリした。
 プロ野球なのだから、金に走っても致し方ないが、国際競技として市民権をうるためにはスポーツの純粋性もすこしは欲しい。ヨーロッパの先進各国が、野球のオリンピック参加にあまり乗り気ではない理由が少しわかるような気がした。
 一生懸命プレイしている選手には気のどくだが、「野球は利益最優先の堕落したスポーツ」と受け取られても仕方がない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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