野田聖子総務大臣が何かにつけて、テレビ画面に登場するようになつた。
総務大臣拝命直後「私は次の総裁選挙に立候補します」と宣言し、一部政界から入閣したばかりで、なんといやらしい女と顰蹙をかったが、実は狙いは外にあった。
総務大臣は放送局の許認可権を一手にし、監督する立場にある。前任の高市早苗元総務大臣は安倍首相に近く骨っぽかったが、放送と通信の融合という課題にたいしては、本音と建前を使い分け、NHKと民放をあしらってきた。
が2020東京五輪を前に、放送と通信の融合という課題は目の前に迫っている。テレビ番組をインターネツトで24時間いつでも見られるようにするという、放送法の改正課題である。
NHKは積極的で、今までの据置テレビからスマホにいたるまで、なんらかの方法で視聴料金を徴収し、収入につなげようと画策してきた。
民放側もここで、あっさり放送法を改正され、インターネツトに門戸開放されては収入基盤が無くなるだけではなく、いままでネットに投資してきた何千億という金の意味が無くなってしまう。
テレビ朝日などでも、AMEBA-TVに対しての投資は、まったく無駄だつたという結果に陥る。経営者の面子も丸つぶれになるのが、放送法改正という総務大臣の切札である。
なんとか民放の立場を、いやNHKの立場をと熾烈な裏工作をつづけているのが、総務大臣を中心にしたメディアロビーなのだ。スケジュール上2020五輪に間に合わせるためには、来年の通常国会に上程されなければならない。 民放に匕首をつきつけているのが、放送法改定という宝刀であり、同時にNHKの経営システムの変更につながる重要課題でもある。
野田総務大臣はどのようにこの問題を裁くか、今メディア界は息を潜めて待っている。
野田総務大臣の大陰謀
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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