野田新総理をオンナ眼線で見る。

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 「デカ顔でお世辞にも二枚目といえないところがとても良いのよ。」恋愛対象には絶対ならないし、堅実で家庭を大切にしそうなところが、いまの婚活市場では絶対的人気なんだとか。
 安部さん辺りから、麻生さん、鳩山さん、菅さんと二枚目気取りの情けなさにあきあきしているというのだ。とくに3.11以後「俺好き」のハンサムな男より安心感のある男性の人気が高い。ちゃんと原発や津波の後かたずけもやってくれそうで、派手さのない野田さんがかえって女性の支持をあつめているらしい。とくに流行を追いかけた鳩山夫人やダンナをコントロールしていそうな菅夫人などが嫌われ、地味で良妻賢母型の妻がしっかりと家庭を守っていそうで好感がもてるというのだ。
 「女性はつねに自分を守ってくれる人を探しているのよ。」小顔が多いイマドキに逆行するデカ顔は、大物の風格があり、ヒステリックな印象がなく、不安だらけの現代にあっている。
 その野田首相の最大の課題が、消費税の増税というから、ゆめゆめご安心メサルナということだ。頼りがいがあるわ、と心を許しているあいだにさっさと税金の値上げをきめてしまうかもしれない。行政改革担当大臣を拾った蓮舫が「この人に総理大臣として国家のために働いてもらいたいとずっと思っていた」と涙を流させた魅力はなかなかのものだ。
 いままでの学生運動のような民主党にくらべ、「ノーサイドにしましょう。もう」と発言したとき、はじめて大人の政治家がいた、と思わせてくれた。やっとたどりついた第一党にもかかわらず、そのなかの最大勢力を排除しようとした菅直人では、とても大政党は束ねていけない、ふところの浅さがにじみでていた。民主主義というのは、良し悪しはともかく数の原理のうえに成り立っているルールなのだという、認識の薄い前総理だった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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