醜悪なピエロと化したルイ・ヴィトン美術館

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醜悪なピエロと化したルイ・ヴィトン美術館
 サザビー創業家のトムさんが、中身は見るに値しないが、外形だけは見ておいてもいい、という意見だったので先年ブローニュの森のアクワマタシオン公園まで、足をはこんだが、いまひとつ全貌をとらえられずにいたので、今回もう一度訪ねることにした。
 あのグッケンハイム美術館や、フェイスブックNYオフィスを設計したフランク・ゲーリーの仕事をじっくりとみておきたかった。
 「林と庭園に囲まれた自然環境に溶け込み、光と鏡の反射に浮かび上がるヨットや船のイメージ」あるいは「透明な雲のイメージ」だった筈のルイ・ヴィトン美術館がとんでもないことになっていた。その姿は「林と庭園に囲まれた自然を軽蔑して、光も鏡の反射もない醜悪なピエロ」あるいは「ごみ屋敷の婆さんのイメージ」の
ルイ・ヴィトン美術館であった。
 透明の3600枚のガラスが、赤と緑の醜悪な市松模様に代わっていたのだ。その姿は疲れたピエロが脱ぎ捨てた市松模様の舞台衣装のようにも見えた。小さければともかく巨大なおもちゃ細工がブローニュの森に覆いかぶさっていた。あのたたずまいを美しいと感じるフランス人はまずいないだろう。後進国からきたお上りさんか、醜いコピーを平気でつくる中国人ならまだしも。
 大きな12面を3600枚のガラスでつくった不思議な造形のみごとさは、何処かへいってしまった。
 美術館はシャンゼリゼーにあるルイ・ヴィトン本店とは違う。売り出しの度ごとに大げさなディスプレイでお上りさんの眼をひく商人のあこぎな精神が、ブローニュの森の入り口に出現したのではないだろうか。
 バブルの頃から異業種参入とかで、美術館建設があちこちですすめられた。が何かが違う。軽井沢にも通信教材の会社がつくった千住博美術館なるものがあるが、コケ脅かしのコンクリートのかたまりは、作品に対する
愛情はなく、四方八方から光が入って作品劣化は保証されたようなものだった。一年開館を伸ばしてあちこちの光を遮断しようやくオープンにこぎつけたが、足元はやたら勾配が多く観客に不親切な美術館のままなのだ。
 光のことからいえば、モンパルナスのカルチィエの美術館も情けない。一階、二階と地上にある建物は総ガラスで、上等な作品は一切展示できない。書き割りか玩具しか展示できないというナンセンスな美術館である。
 宝石商やバック屋が少し儲かったぐらいで、美術館に手をだすというが、そもそも間違っている。
ブローニュの森のルイ・ヴィトン美術館がいつまであの醜悪な市松模様をまとっているのかしらないが、オーナーも設計家ももう少し頭を冷やしたらよかろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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