街の風景を創り出しているものに、かっては電器やさんがあった。喫茶店があった。駅前にはかならず果物屋さんがあった。そしてその向こうには小さな郵便局などがあって街の風景を創り出していた。
いまではそうした生活の営みを感じさせた街並みは、遠くへいってしまったような気がする。その代わりスーパーは出ているか、コンビニは何処と何処、チェーン店がどれだけ出店しているかで、その町の景況が見えてくる。
全国一律があたりまえとなり、街の風景から個性が消えた。だから旅をしても面白くない。遠い所へ来たという実感がわかない。便利と引き換えに貴重なものを失っているような気がする。
丸亀製麺ができた。目の前でうどんを造り、客に供していた。うどんも汁も美味しかったので、さて次の機会には釜揚げにチャレンジしてみよう、さすが本場丸亀のうどん屋と感心したら、横から訂正された。丸亀製麺は丸亀ではありません、芦屋が本社ですといわれ、ショックをうけた。
いまや丸亀製麺は破竹のいきおいで821店舗もある。この業界には「600店舗の壁」という公式が存在し、600店舗を境にチェーン店は盛衰の分岐点をたどるのだと聞いた。其れゆえ、丸亀製麺は安定成長の道をたどっているそうである。
が町の景観からいえば、けっして優れたデザインとはいえない。悪目立ちだけの悪趣味なたたずまいである。
近頃洒落たCMで話題になっている幸楽苑、508店舗の展開になっている。長い間290円のなつかしい中華そばが看板だったが、最近520円の醤油らーめん司に切り替えた。290円のらーめんを頼りにはいると520円のラーメンに導かれる。慌てると390円の極旨醤油らーめんもあります、味噌も塩もあり、人気の餃子も極とモデルチェンジして評判ですと、誘導される。
価格改定はうまくいったかとおもわれたが、それでも50店舗近くが失敗して赤字となった。
そこで幸楽苑は「いきなりステーキ」とフランチャイズ契約をむすび、ステーキ・ハウスへの転換を計った。たちまちに赤字はきえふたたび黒字に転換したという。
機をみるに敏でなければ、チェーン店の展開はできないという一例である。
スケール・メリットが経営の基本にあるために、街角で性急に目立とうと店舗デザインはどんどん下品になる。
幸楽苑と丸亀製麺が並んでいる町の風景は、どう贔屓目にみても先進国ではない。かたやオリンピックでコンクリートの山を築き、かたほうでチェーン店が町の景観を壊して行く。
どうみてもこの国はまだまだ後進国というべきだろう。
都市景観を壊す丸亀製麺・幸楽苑・いきなりステーキ
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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