都をどりと南座と

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 消防署の意地悪で祇園歌舞練場が使えなくなっている。
京都の春の名物「都をどり」は、やむなく洛北の京都造形大のホールで上演されていた。先代の猿之助さん等が加わって造られたホールは春秋座となずけられ、良くできたホールなのだが、日常的に劇場として使用されていないので、やっぱり空気が違う。どことなくよそよそしく冷たいのだ。学校のホールの宿命かもしれない。廊下や入口に賑わいがない。
 四条河原町の南座も同じく使用禁止になっていたが、ようやく耐震工事もおわり復活したので、「都をどり」も南座へ帰ってきた。それでも歌舞練場のような茶席のもてなしに使えるスペースはなく、どことなく花街のをどりとしては物足りなさが残る。
 演目は「御代始歌舞伎彩」(みよはじめかぶきのいろどり)。
 「都をどりはよーいやさあ」おきまりの掛け声に始まった置唄から、初恵比寿で授与される商売繁盛、家運隆盛の福笹になり、法住寺に集う白拍子や遊女たちの歌舞争いをみせて、四条河原阿国舞となる。南座の西側には「阿国歌舞伎発祥の地」という石碑があり、往時の賑わいを彷彿とさせる。あまりの人気に幕府もそのままにしておくことが出来ず、色模様を外した野郎歌舞伎となるが、いずれにしても江戸大衆芸能の中核にある歌舞伎模様が同じ四条で演じられることに共感。
 そして舞台は長唄から浄瑠璃にと、これがまたものたりない。わらしべ長者では劇場的スペクタクルにならない。第五景あたりには舞台機構を十二分に使いこなしたドラマティックなシーンがないと、観客がだれてしまうという計算がない。やはり構成者が女性だという欠点がみえてしまう。折角の女性だけの都をどりだから、いますこしその辺りの勉強をなされたら如何。
 一力さんのお座敷では照豊さん初め、福奈美、フク愛、小衿,小純、まめ彩、亜佐子そして豆千鶴さんに世話になった。ついこの間まで可愛らしい舞妓さんだった女性が、気がつくとすっかり女性になっていることに驚かされる。それだけこっちも年取ったという訳か。
 桜のなかに都があった。そして異人さんのなかに都人がひっそりと暮らしていた。そんな春の京都だった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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