桜のたよりとともに京都では都をどりが始まる。
三月になるとご贔屓の芸妓、舞妓から番付がとどけられる。チラシではない。
公演中のお点前、ひかえの配役から景構成、一番、二番、三番それぞれの出番表、スタッフ・キャスト・スケジュールすべてが、この番付一枚でわかる。
番付は縦長の袋に入れられ、さらに帯が巻かれている。芸舞妓それぞれの名前とともに、…御旦那様、…御父上様、…御兄上様、…先生、と宛名が墨で書かれている。敬称の使い方の違いに、それぞれの付合いや認識の違いが見えて嬉しい。
長方形に五つ折りされた、表紙には 第百四十回 都をどり 於祇園甲部歌舞練場 とある。戦争中の休演期間を合わせれば、145年近く続いているトラディショナルなレビューだ。
パリのクレージー・ホースより、ニューヨークのラジオシティ・ミュージックホールよりも長くつづいているレビューが、祇園町の片隅にあるというのが信じられない。
祇園甲部の芸妓、舞妓と井上流の家元、お師匠さん方によって、また祇園町という花街のシステムによってご贔屓、お客さんを毎年12万人以上動員してきたというのが凄い。
歌舞伎、能、狂言、日舞など、この国の伝統芸能にねざしたもの、都おどりなど含めて国家として援助して当然とも思われるが、どうもこの国の政治家には文化オンチが多い。
都をどりという文化財
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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