都の夏は鱧(はも)

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 夏の訪れは「あゆ」という人と「はも」という人がいる。
 鮎も鱧もいずれも夏の季節感に充ちているが、鮎は田園風景を写すが、鱧は町屋とか粋な料亭がよく似合う。
湯引きハモ.jpg
 プレバトの炎帝戦をみていたら10の優秀句のなかに鱧に寄せた句が2句も登場していた。
  呼び鈴の はんなり抜けて 湯びき鱧   中田喜子
  鱧の皮 あの娘 再婚したらしい   かたせ梨乃
 祇園祭を別名「はも祭」と呼ぶがごとく京都の人ははもが好きだ。淡泊で上品な味が都好みの夏の名物に仕立てたのかもしれない。
 はもは薄造り、落とし、天ぷら、しゃぶ鍋、どんな調理にも合う。
 「一寸(3.3㎝)に26筋(1.2㎜)」といわれる骨切りの名人芸も、はもの評判に輪をかけた。
 谷崎潤一郎も江戸からつづくはもの老舗、烏丸御池二条城近くの「堺萬」に通っていた。はもの薄造りがなによりの好物だったと聞く。
 祇園祭のお献茶の楽屋には、いつも瓢亭さんから「はも寿司」がとどいた。
 瓢亭の女将さんのすっきりした絽のきものに、はものお届けがついてくると、夏の京都もまんざらではないと思った。
 生きたまま都にとどく「はも」の生命力の強さは、「京女」の強さに通じるものがある。
はも.jpeg


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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