都のお寺はプロジェクション・マッピング

by

in

都のお寺はプロジェクション・マッピング
 ここ二三年ご無沙汰していたが、急に桜の京都にいくことになった。
 鴨川べりの桜も見事に迎えてくれたが、町中の高瀬川も桜のはなに囲まれて春を運んでいた。
 丸山公園の桜も春霞のような見事さだったが、東山全体を埋め尽くした桜の濃淡が広がってこの国を彩っているのだと、改めて感じた。
 北政所によって創建された高台寺は、プロジェクション・マッピングの見事な光の饗宴で人気を呼び、あの派手好きだつた秀吉もさぞや満足していることだろう。夜の高台寺には、秀吉を想うねねのやさしさが、いっぱいだった。
 金閣寺とか清水寺といった人気定番の巨刹に対し、この高台寺や青蓮院門跡といったちいさなお寺さんが頑張っているのが今年の京都だった。
 青蓮院門跡はご本尊が光とばかり、ライトアップに工夫を凝らし夜間拝観にちからを入れ、東山山頂に至る寺領の頂点にある京都加護の象徴将軍塚に青龍殿を移築、清水の大舞台の5倍近い大舞台を完成、さらに大舞台の中央にガラスの茶室を造った。
 大舞台からは、東山、比叡山、北山から嵐山、さらに南は伏見から大山崎と都のすべてが見渡せ桓武天皇がこの地を都にさだめた、風水の聖地がひとめで読み取れる一大パノラマが見渡せた。そしてライトアップ、京都の古刹とデジタルの親和性がこんなにいいとは思わなかったが、昔から京都人に潜む新し物好きが、桜の季節とともに爆発していた。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ