夏になると避暑地には、不思議な言葉が飛び交う。
まあ、ごきげんよう。○○のおばちゃま、おにぃちゃまはお元気? あら、昨年おじぃちゃまがなくなって、旧軽のおうちのことが、いろいろ判って、わたしも家をでたの。だからおにぃちゃまもどうしているかしら。おねぇちゃまもロンドンへ行っちゃったし。……
ご挨拶には赤ん坊用語と超丁寧語が飛び交い、お互いの一族郎党の現況をさりげなく探るというのが別荘族の話の中心となる。
政治や経済の話はご法度、あら、あちらは総理の奥様のいとこでいらっしゃるし、日銀の○○総裁の御子息のお嫁さんなので、いろいろと大変でいらつしやるでしよう。
なにが大変なのかよく判らないが、そんな時だつてそれはオジサマが大変なんでバカ息子の嫁には関係ないだろう、などと金輪際思ってはいけない。
そのうえ知り合いのお嬢さんがウイーンに留学して、帰りに拾ってきた外人プータローとのコンサートなどあると、なにはともあれ拝聴に伺い、批評せずにアンコールを捧げる。
まあ素敵な御嬢さま、口が裂けてもあの演奏は何ごとなどと批評してはならない。
なにしろウィーンのオーケストラの嫁さんたちの三分の二は日本の嫁であって、ウィーンの音楽家はみな日本からきた音楽留学のお嬢を狙っている。
日本人のお嬢を嫁にすれば、まず生活が安定する。草津あたりで演奏会を開けば、皇后さままでピアノのお稽古にいらっしゃる。その上外国コンプレックスの家庭の子女が、弟子入りしたいとウィーンまでやつてくるのだ。
ウィーンの音楽家にとって、夏の日本は嫁孝行と弟子集めの一石二鳥の効果がある。
夏の避暑地にはそうした国際結婚の子女が、あちこちに散らばっている。 来年の夏までしばらくのお別れね。御機嫌よう ……。
軽井沢の夏は、まもなく旧道のお諏訪さまの花火とともに終わりを告げる。
避暑地の超丁寧語
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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