遺体ホテル記念月間大サービス

by

in

遺体ホテル記念月間大サービス
 火葬を終えて骨をひろっている人々、火葬中で待機している人々、最後のお別れをしている人々、火葬炉に送り込まれるお棺を涙ながらに見送る人々、…… 火葬場は原宿並みの混乱をていしている。何十年の人生を終えてあの世におくる厳粛さはどこを探してもない。
 高齢化社会の多死時代を迎え、死にゆくための施設がどこも不足し、たいへんに困った状況になっている。
 墓が高くてもてないとか、お寺のお布施がわからないとか、そんなことより死んだカラダがお墓にたどりつくのが大変なのだ。
 死ぬに死ねないと親不孝息子をまえに嘆いていた昔は、いま親不孝娘がいなくとも、死ぬに死ねない現実が待ちかまえている。
 待機児童のことではなく、待機遺体のことだ。遺体は火葬場にいくというのが法律で決められて常識だったが、その火葬場がたりなくて順番待ちがどんどん増えている、という話だ。
 昔のように鳥葬などあれば山に棄てに行けばいいが、それもできない。信州には姨捨山があり、死期を悟った老人は孫や息子に背負われて、その姨捨の谷に棄てられに登ったと伝えられているが、そうしたアナログな死にかたのほうがシアワセだったかもしれない。死んだあとにまで政府や法律が介入してくるので不都合ばかりが発生する。
 すぐに火葬場に行けない遺体は、葬祭業者が預かってどこかの冷暗所に置くしかない。
 そこで登場したのが「遺体ホテル」、大きな冷蔵庫が並んでいるカプセルホテルのようなものから、完全個室で一室に一棺ずつで遺族が共に過ごせるようになったホテルタイプのものまであるそうだ。
 大手葬祭業者や倉庫業者が空き倉庫やアキビルをリフォームして、「遺体ホテル事業」に進出してきた。
 いっぽうでは死んでからでは間に合わないので、あらかじめ火葬場のスケジュールをおさえておき、遺族から連絡がありしだいすぐに火葬場に送り込めるよう段取りを整えておく葬祭やもあるというから驚く。当然火葬料に予約手数料がのり、高くなる。
 海外旅行に際し、何ヶ月もまえから飛行機の座席をおさえる、あの方式と変わらない。そのうち遺体ホテルのサービス週間やら、記念フェティバルが電通あたりの企画で実施されるかと思うと、絶望的な気分になる。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ