遊郭門前の鼻顔稲荷に詣でる

by

in

遊郭門前の鼻顔稲荷に詣でる
 初詣という年頭祭事は日本人にとって、宗教を超えた習俗になっているような気がする。
 3年前は日本の中央、生島足島神社(イクシマタルシマジンジャ)、ここにはいわゆるご神体はなくご本殿の大地が拝礼の対象になっている。明治御維新のおり、京都から東京へ首都を移したが、この生島足島神社の土を千代田城に運んだ後に東京遷都を果たしたという由緒深い神社なのだ。
 2年前は関東の一之宮・貫前(ヌキサキ)神社、妙義山塊の端にある。お手玉唄にでてくる 〽いちばん初めは一之宮 と登場するあの関東一番のお社である。ここは下りが参拝道で、拝礼を終えたら上りで帰ってくるという珍しい建て方になっている。
 そして去年は上田城内・真田神社、城外に通じる井戸を覗き込んで真田丸の権謀術策を学んだ。さいわい大河ドラマ真田丸も無事大団円を迎え、世にいう経済効果も120パーセントを超えたと伝えられる。
 さて今年の初詣は、ということになって選択したのは佐久のど真ん中、岩村田の鼻顔(ハナズラ)稲荷大社。
昭和15年まで門前に遊郭をかかえていたという稲荷大社である。
 京都伏見の総本社、愛知の豊川稲荷、茨城の笠間稲荷、佐賀の祐徳稲荷、そして佐久岩村田の鼻顔稲荷と、
土地っ子は五大稲荷と自慢するが、それには少々無理がある。が湯川にせりだした岩山に鎮座するお稲荷様は、京都清水寺と同じ懸崖造りで、対岸から見上げればなかなかの朱色に彩られた信仰のお社に相応しい。
 今に残る遊郭の大門を横目に一の鳥居をくぐれば、まもなく場所柄にふさわしく相生の大樹に迎えられる。岩肌を這うように狭い階段を登りつめたところに御姿殿があり、細長いご本殿にいたる。江戸期の繭玉やら、奉納俳句一覧、相撲力士の記録、地酒造りの樽酒、など尊崇を集めていた証拠の数々が、ずらりと並んだ大廊下に、赤の稲荷旗をぬうようにある風景はちょっとした魔界でもある。
 永録年間に伏見から勧請したと伝えられるが、当初は遊郭の大夫さんやご亭主たちの拠りどころになっていたようだ。田舎女郎に入れあげた末、身ぐるみはがされた客もここで再起を誓ったと思えば感慨深い。
 いまでは東信随一の収穫神となり、商業神として初詣の主役となっている。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ