新型コロナウィルス/武漢/ダイアモンド・プリンセス号/マスク品切れ/等など、立春大吉の話題としてこんなに不愉快なものはない。
まもなくやって来るヴァレンタインのチヨコレートのことでも考えた方が少し救われるかもしれない。
古代メキシコではチョコレートは「神様のたべもの」といわれていた。それほど高価で貴重なものだったということだろう。
紀元前1000年頃、カカオ豆はお金であったといわれ、通貨として流通していたそうだ。
16世紀にはアステカの皇帝モンテスマが「恋の媚薬」と信じ、ハーレムに行く前には必ず浴びるほど飲んだと伝えられる。チョコレートは「通貨から媚薬へ」と変わった。日本でも長崎出島において、寄合町の遊女大和路がオランダ人から「しょくらとを」をプレゼントされたという記録がある。
欧米では上流階級が集まるチョコレート・ハウスがロンドンに生まれ、ルイ14世がマリーテレーズを妃にしたことでパリの社交界を一気に席巻したのがチョコレートだったといわれる。
このチョコレートをフランスで初めて味わったのが、岩倉具視欧米視察団だったと文献に登場している。
大正期このチョコレートを愛し、毎朝クロアッサンとともに楽しんでいたのが、かの永井荷風だった。
ふらんす物語のある荷風は目覚めると「床のうちにて一椀のショコラをすすり、一片のクロワサンを食す」と日記断腸亭日乗に記されている。そのショコラはフランス製のものを取り寄せ「その味何となく仏蘭西に在りし時のことをおもいださしめるなり」とあるから、多分ショコラ・ショーを愛飲していたのではなかろうか。
「飲むチョコレート」はオランダのヴァンホーテン一族により、「食べるチョコレート」はスイスのロドルフ・リンツにより、「愛のチョコレート」は神戸のモロゾフにより始まったと言われている。
パリには、ヴァレンタインの日は愛の告白文で紙上をいっぱいにする新聞がある。
通貨から媚薬・愛になったチョコレート
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す