ディーン・フジオカという俳優のインタビューを見て、久しぶりに本物の役者に出逢えたと思った。
思慮深く発られる言葉と温和な表情は、日本の良き家庭や環境を思わせるものだった。ところが、千葉で育ってカナダの大学で学び、インドネシアで起業した国際人と聞いてびっくり。
そのほとんどを海外で暮らした人にありがちの無国籍な臭いがしない。
ご本人は多様な人種、多彩な言語、様々な文化にふれてきたので、たいていのことには驚きませんと、いっていたが、36歳にして五つの国の言葉を話し、それぞれの言葉に対応した演技表現ができるというのは、天才としか言いようがない。
作詞作曲など楽曲制作はインドネシアで展開し、香港では中国武術やキックボクシングを嗜んだという。本格的なスポーツマンではないが、スポーツを学ぶ精神はわかっているつもりという。
NHKの朝ドラ「あさが来た」の五代友厚役でも、大阪の商業人にまじって先進の思想と実行力によってリードしていく壮年の役どころを見事に演じきっていた。あさが惚れても不思議のない男の魅力に充ちていた。
近頃流行りものの男にはない、教養と思慮深さにみちた五代になっていた。
願わくは、日本のミーハー・ファンの影響を受けないでほしい。カワイイなどという大人子供の趣味に迎合することなく大人の俳優のみちを歩いて欲しいと願うのは筆者ばかりではないだろう。
逆輸入された本格派の俳優・ディーンフジオカ
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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