久しぶりに軽井沢町長の記者会見がニュース番組に登場した。
コロナ発生以来、泣かず飛ばずのマスコミ大好き町長のことだから、さぞ清新なコロナへの救済策が発表されるのかと期待していたら、肩透かしをくった。
会見の内容は、軽井沢に本社、営業所のないメーカーは、商品に「軽井沢」の名前は使用するな、という内容。コロナのさなかなんともピント外れの記者会見である。
一見もっともなようだが、軽井沢の土産物でどれだけ町内で作られているのか、考えてみた。
軽井沢の名前を冠した商品の八割は、軽井沢の外でつくられている。
そうした現実が町長は判っていない。名称使用規制を引いた途端、店頭から軽井沢の名の商品の8割は消えてしまう。それが現実である。
軽井沢の地元に優れた商品の開発力があれば、主張するのも結構だが、開発力もなく自己主張しても高踏無芸のそしりを免れない。
バブルに踊っていた四、五十年前、軽井沢の周りは軽井沢だらけだった。
峠の下の下仁田町には東軽井沢があった。西の御代田町には西軽井沢があった。いまではそのまま御代田町西軽井沢になっている。群馬県北軽井沢の奥には奥軽井沢があったし、山奥のゴルフ場は南軽井沢としょうしていた。
不動産業者のたくましさには少しばかり呆れはてつつも感動的であった。こうして町内の地価を上げるに任せ、ニヤニヤしていたのが行政である。
長野では善光寺のごとく、門前町に支えながら善光寺の名前を使うな、というカン違いのお寺さんもあるが、どうも足元をみずして権利を主張する悪い因習がはびこっているようだ。
軽井沢ブランドを使うなという町長会見
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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