軽井沢サミットの思惑違い

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軽井沢サミットの思惑違い
 軽井沢に降りて改札をくぐると、「軽井沢でサミットを開こう」…
 18号線を西に走り、町役場に差し掛かると、「軽井沢でサミットを」…
 週刊誌を開いたら、「仙台、広島、軽井沢、伊勢…サミット300億利権の醜い争奪戦」。
 全く知らなかったが、サミットで動く金は半端なく大きいらしい。08年の洞爺湖サミットでは、プレスセンターの建設費と各国領袖の泊まる施設の増設費に382億の金が投じられた。
 2000年の沖縄サミットでは、警備関係の宿泊施設だけで320億、メーン会場の万国津梁館やプレスセンターだけで814億の予算が使われた。
 そうした予算を巡って魑魅魍魎の醜い争いが展開されているのが、サミット招致の実態だと、紙面にかかれている。有力な自民党代議士もいず、町長や県知事が旗振りをしている軽井沢にとっては、痛くない腹を探られているようなものだが、ひょっとして莫大な利益のために動いている覆面紳士がいるのかもしれない。
 一過性のサミットなど地元には全く利益はなく、首脳用のスイートルーム26室以上、客室3500室以上の条件では、軽井沢プリンスも星野リゾートも万平ホテルもお呼びではない。軽井沢のホテルは、いずれも国際的なレベルからみれば、すべてB級ホテルでインターナショナルな一流ホテルとあれば、新設しなければならない。プレスセンターにしても13000㎡のホールが必要とあれば、今ある体育館では対応できない。
 その上警備上の観点からは東西南北お出入り自由で、まわりの山からロケット・ランチャー一発打ちこめば簡単にサミットを妨害することが可能だ。となりのアウトレットには、毎日何万の人々が押し掛け、出目はまったくわからない。こんな無防備なところで本当にサミットを開こうとしているのだとしたら、正気ではない。
 サミットはオリンピックではないし、サッカー選手権でもない。集まった人々は会議が終われば、さっさとお国に引き上げる。経済効果はゼロなのだ。 軽井沢は静かな高原リゾートで充分なのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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