軽井沢へ行って「ピース軒」のカレーを食べよう

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軽井沢へ行って「ピース軒」のカレーを食べよう
 軽井沢にようやく本格的なカレー・ハウスが登場した。
今までも町の団体が集まって、「懐かしの三笠ホテルカレー」などあったが、味の極めがいまいちで名物にはならなかった。
 がここへ来て、ようやく本腰をいれたカレー・レストランの誕生である。
軽井沢駅から北へまっすぐ軽井沢本通りの中ほど、中華の名店栄林のまえにその店は誕生した。
 看板は「ピース軒」、この時代錯誤とさえ思える名前が嬉しい。戦後の匂いのするこのなまえには、庶民の暮らしの響きがあり、近頃流行りのフランス語などのよく判らない名称にあらず、判りすぎるほどの平易で俗な名前、オーナーのカレーにたいする思想がはっきりと現れている。
 記念写真といえば、何も考えずにピースをする若者たちの風潮は嫌いだが、日本人の平均的な感性はこの程度なのだろう。
 カレーという食物のポジションとして捉えた「ピース」の名称は、真ん中ずばりの豪速球だともいえる。気取った別荘族には懐かしの響きがある、地元族には気楽に足を運べる趣き、かるい観光客にはピース写メの喜び、それぞれのターゲットに焦点を合わせてなかなかのネーミングなのだ。
 メニューは中心のギタロー軍鶏のピースカレー、キノコどっさり野菜カレー、口どけポークとギタロー軍鶏のキーマカレー、青山養鶏場漢方卵のオムレツカレー、口どけポークのカツカレー、豚バラ肉の焼豚カレー、信州牛のステーキカレー等、それに新鮮120パーセント朝採れ野菜のサラダBARがついてくる。きりっとスパイスのきいたカレーの美味さは格別である。
 この夏、「軽井沢へいってピース軒のカレーを食べよう」 そこに本格カレーの楽しみがある。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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