軽井沢ぶんか組 スタート

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 コロナ禍のさなか「軽井沢ぶんか組」がスタートした。
 かねてから旧軽井沢しののめにあるCafe来美のママ隅防つるえさんとのプロジェクトである。
 テーマは「ぶんかを雑談する。 ぶんかを楽しむ。なかま。」である。とくに分野を決めることなく、その時々に応じたテーマでやろうという気楽な集いだ。
 第一回はコロナの予防ということでテレワークでつないだ「軽井沢いま・むかし」。縄文期の軽井沢から、こんにちの軽井沢の実相について、東山道の時代から中仙道、信越道、を経て今日まで、果たして現状はにほんのリゾートと言えるのかどうか、そのへんに焦点を当てたテレワークだった。人間不在のソーシャル・ディスタンスとやら、筆者世代にかなり欲求不満のたまる形式的集合で、実行はしたが血肉の通らないテレワークだった。(4月19日)
 第二回は「LGBTとにほんの芸能」。祇王妓女、仏御前のむかしから世阿弥を経て、歌舞伎、宝塚、ジャニーズ、マツコにいたる芸能を取り上げた。時の権力と白拍子や能楽の関係、阿国歌舞伎、若衆歌舞伎、そして野郎歌舞伎と幕府、戦後中原淳一からマツコまでを、時代のなかでLGBTな人々がはたした役割について論じた。20枚ばかりのフォト・フィリップを使ってトークとのコンビで実行した。(5月24日)
 第三回は6月21日14時から、テーマは「祇園の通過儀礼」。春夏秋冬祇園町の様々を芸舞妓の日々を通してみていこうという内容の予定。
 会場は軽井沢旧道しののめのCafe来実、興味のある方は、0267-31-5110隅防さん宛 電話で申込んでください。 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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