ようやく軽井沢にも夏の終わりが来た。
サミット騒動に始まり、ようやく交通相会議が振り分けられ、町のお偉方はドイツのエルマウ城まで視察にいって帰ってきた。プリンス・ホテルの貧しさを充分に理解してきたことだろう。
吉例、天皇陛下皇后陛下のご滞在もあった。
皇宮警察やら県内各地からの警備のお巡りさんが大挙動員され、ご苦労なことだった。この夏のご滞在では、昭和天皇が拘られた大日方の満州開拓団の資料館を訪ねられたり、雨のなかを公園の散歩をされたり、毎日町内を動き回り、ご静養とは遠い日々を送られていた。
その期間振込め詐欺はあいかわらずあったが、いちばん悲しんだのは「軽トラ」だった。
陛下が通られるときは、軽トラをお見せしてはいけない。軽トラは見苦しい乗り物だとでも誰か言ったのだろうか。
友人の芸術家はたまたま軽トラを走らせていたところ、警官に止められ、まもなく陛下がお通りだから、軽トラは見えないところに止めて、お迎えをするように指示されたそうだ。
「軽トラは田舎のベンツ」なのに、クルマを隠せといわれた友人の落胆はいかばかりのものだったか。
田舎では何処へでも軽トラで行く。農協に野菜を運ぶ時も、学校のPTAもみな軽トラのお世話になる。お父さんも畑へは軽トラでいくし、建築関係の仕事でも軽トラに勝る移動手段はない。日曜日には広場で軽トラ市が開かれる。友人の軽トラには時に、チェロやファゴットが乗せられていることもある。
軽トラは日本の誇る乗り物なのだ。軽トラの走る田園風景こそ、天皇皇后両陛下に是非ご覧いただきたい、にほんのリゾートだと思うが如何。
軽井沢の軽トラが悲しんでいる
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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