数年前、軽井沢駅から旧軽銀座へ向うなかほどにメッポウお洒落な建物ができた。
シースルーの総ガラスで覆われ、柱は白い鉄の列柱が林立している。直立の柱もあれば、傾斜した柱もある。 数十本の不規則な柱に囲まれたその超現代なタタズマイは町民の眉目を集めた。
噂が噂を呼んだ。スーパーカーの展示場になるそうだ。フレンチの超高級レストランもはいるそうだ。シャネルだ、グツチだ、いやアルマーニだそうだ。…と次々に噂は流れるが一向に工事は始らない。
駅南にはプリンス・ショッピングセンターが、ますますの繁盛をよび、北口は不動産屋街となり、旧道の商店街はカロリーダウンして困っていた矢先、そのシースルービルへの期待は大きかった。
そこに襲いかかったのはリーマンショック、世界中が不況となり、日本も軽井沢も不況の大波を被った。
テナント候補は次々に撤退し、もはやシースルーのお城は廃墟と変わりつつあった。結局あのビルは建築家のマスターベーションで、使う側への配慮はゼロだから、もはや更地にして土地を処分するしかない、という噂だった。…そこへ3.11東北大震災。セシゥムから遠く、地盤の安定した軽井沢への関心が復活した。
銀座の画商がシースルーのお城に眼をつけ、美術館を創るという壮大なプランが登場した。
「軽井沢ニューアート・ミュージアム」短期間でシースルーを遮光し、世界レベルのミュージアムが出来た。一階を四つの企画ギャラリーとし、ミューアムショツプとレストランを併設した。二階が凄い、オープニングは日本の現代アートをモチーフに、1950から今現在までを見せている。
井上有一、今井俊満、岡本太郎から元永定正、吉原治良、山口長男、草間弥生、舟越桂、松井冬子、村上隆等などすべての作家を網羅して、ダイナミックで知的な空間を作り上げている。世界的レベルのキュレーター長谷川裕子さんの腕の冴えが見事だ。軽井沢に現代美術の巡礼地がまたひとつふえた。
軽井沢にNEW ARTの巡礼地
コメント
1件のフィードバック
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長い間待った甲斐がありまししたね!
駐車場がすこし心配ですが、馴れてる人ならなんとかなりますね!一階の写真展も楽しく拝見しました!
はじめのテナントが流れた頃は、魔女の呪いの噂も流れていました!粘り勝ちの希有な事例でした!
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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