軽井沢にG7外相会合はいらない

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 何年か前、環境相会合があった。通行止めやら、営業停止やら、迷惑ばかりで、町の環境は一向に良くならなかった。
 今度は外相会合である。あいかわらず通行止めと営業禁止、爆発物発見のリハーサルで大人たちは忙しい。
 治安維持の面からはもっとも不都合な軽井沢で、G7など開催してもまったく無意味、よく判らないというのが、町民の声。
 会場となるホテルは周りをやまに囲まれ、テロリストはどこからでも狙える、妙義山塊からも、和美峠からも自由にホテルを見渡せるところへ入り込めるのだ。小型バズーカ一本で大事件になる危険極まりないホテルが会場なのだ。
大臣会合.jpg
 この春落選した前町長が「国際会議都市」という看板が大好きで、誘致に手を挙げては喜んでいた。
 町民は冷めた目で、そんなものに予算を使うなら、リゾートの景観修正にでも使った方が遥かにまし、と見ていた。
 後ナンニチの電飾看板や、大量のポスターに金を使い、役場には大きなフンドシをさげて、町民の機能を停止させることに熱中していた。
 なんとも困った町長であった。
 ようやくコロナも落着き、客足の伸びてきた矢先の三日間がその後遺症で、アウトレットもホテルも3日間は営業停止である。
 そんなに会議都市が好きならば、學会誘致をしたほうが遥かに町は潤う。
 2000ある學会は毎年この国の何処かで大会を開いている。その度ごとに全国や海外から学者が集まり、宿泊や土産で町は潤う。
 国際会議は内閣府と専任下請けがすべてをコントロールし、町に落ちる金はないが、學会の年次大会ならすべて民間だからホテルも民宿もうるおう。
 大賀ホールに通訳施設をつくり、周りの公民館のいくつかを分科会が開けるようにしたらすべて賄える。
 リアルなことを考えず、100年計画とかで見届けることのできない未来の夢に予算を使ったり、定評のレパートリーを演奏しない指揮者に専属料を払ったり、なんとも不思議な町長であった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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