軽井沢に夕涼みがなくなった。

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 森の我が家で夕食をすませ、のんびりと旧軽の銀座に繰り出す。
 夕涼みの旧軽銀座にはいろいろな楽しみがあった。
 三田文学の仲間たちは上の茜屋に集まり、東雲の絵描きさんたちは明治屋のテラスで談笑していた。
 若者たちは水野に屯して、道行く友人に声を掛けていた。東京で会えなかった一年ぶりの懐かしさが旧道に溢れていた。
 女優も作家も画家も政治家も財界人も、思い上がったところが無く、ごく自然に旧道を吹き抜ける風を楽しみ、たまさかの冷気に身をまかせて、世事をかたり、ときに文学論に華を咲かせ、見てきた映画のストーリーなど披露して楽しんでいた。
 いつものぞろりとしたムームーの奥様が通り過ぎると、ゲランだのシャネルだのと香水とマダムについてあらぬ妄想をやんちゃ達は競い、はては別荘番号まで囁きあって三日後の悪戯を企んだ。
 個人情報などという垣根はなくおおらかに信頼しあって、軽井沢の夏に集まる仲間としてお互いを信じていた。都会の複雑なコミュニティより、軽井沢のシンプルな人間関係のほうがはるかにシアワセだった。
 8月20日になれば、旧道のお諏訪様で花火が揚がる。やまは峠の釜飯提供、駕籠かきの仕掛けだった。
 素朴な花火を合図にひと夏の夕涼みは終わった。あの夕涼みは何処へ消えてしまったのだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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