躾けのいいブルーベル・ガールは何処へ

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 リドと言えば、パリに於ける2大キャバレーショウのひとつ、もっともゴージャスなレビュウの中核をなしていた。
 コロナによる被害がこの三年つづき、結局現在のキャバレー・シアターを維持していることが不可能となり、閉鎖することになったという報道である。
 もうひとつのキャバレー・シアター「ムーラン・ルージュ」は無事というので、ホッとしている。
 フランスの庶民文化を中軸にすえたムーランに対し、リドはヨーロッパ、アメリカをまたいだ白人趣味を押し出していた。
 第二次大戦後に開場したという時代背景も影響している。
 リドのショウは、現代の富裕層の好みに合わせて構成され、先端のテクノロジーも少しいれた贅沢感に溢れていた。アメリカ人の観光客がもっとも多かったキャバレー・シアターだった。
 セリーヌ・ディオンやシルク・ド・ソレイユをディレクションしたフランコ・ドラゴンの演出が舞台に花開いた。
 ピアフも、デートリッヒも、ダリダもみなリドの舞台にたっている。
リドのショウ.jpg
 3年に及んだ武漢コロナは、エンターテイメントの世界にも大変な被害をおよぼした。
 復活したラスベガスのレビュウもひとまわりスケールを縮小したと伝えられるし、クリエイティブ全体が萎縮したのだ。
 パリの華やかな夜もどこまで元に戻れるのか少し不安でもある。
 175センチ以上の躾のきびしいブルーベル・ガール40人は何処へ行くのだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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