赤のうらおもて。

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 赤という色は不思議な色だ。社会主義、共産主義の色とされ、赤旗を押し立ててのデモは赤色デモと呼ばれた。学生時代は血の色、労働者の色と教えられ、インターナショナルの歌を歌う時は指揮棒は赤い大きな旗だった。
 連想はモスクワの赤い広場へつながる。革命50周年の年、当時のソ連邦から芸術文化代表として招待され、赤の広場の赤軍パレードに列席した。赤は革命の色と認識していたら、あっさりと否定された。なにおおかたのロシア人は、赤は美しい色と思っています。だからこの美しい広場を「赤の広場」となずけたのです。革命で流した人民の血の色というのは思い過ごしというものです。
 この感覚はパリのオペラ座でも遭遇する。ガルニエ・オペラの大きな赤い緞帳とオーケストラに引き詰められた赤い絨毯、フランス人にとって赤以上に美しい色はない、だから赤ですと教えられた。
 オペラのカルメンも、メリメの原作では粗末な黒いドレスを着た女と描かれているにもかかわらず、舞台では赤い奔放な衣裳を身に着けたヒロインが多い。欧米のオペラ歌手は自分の持ち役の衣裳はみな自分でもつているので、それだけ赤い衣裳を着たいプリマが多いということだろう。
 心理的には赤は副交感神経を刺激して食欲、性欲を増進させるといわれている。そこで赤いショーツや赤いスリップ、赤いドレスが登場する。北京、上海、と中国の大都市では、この時期ファッション衣料の売上の5割を赤が占める。旧暦の正月、春節を盛大に祝う中国人はボーナスの臨時収入をみな赤につぎこむ。街の目抜き通りは赤一色に覆われる。なかでも下着の赤は自前、プレゼント共に圧倒的人気で、現地ワコールは赤いブラジャー、赤いショーツの生産に追われている今日この頃と聴こえた。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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