戦後、食べることも出来ない荒涼たる焼跡に赤い旗がヘンポンと翻った。労働運動の象徴であったし、共産党の旗であった。赤は労働者の流した血の色であると教えられた。ソ連邦革命50周年の年、招待されて記念式典にでた。会場は赤の広場、その折「なぜ赤なのか?」という質問に「ソ連では帝政ロシアの時代から、赤は美しさを表しています。この広場は美しいでしょう。」民族と色彩には、それぞれの歴史があることを教えられた。パリではオペラ座の緞帳と客席の赤に心ひかれた。フランスの人々もまた美しい色の最上位に赤を位置していた。
中国でも王宮は赤く彩られ、結婚式の衣装は伝統的に赤だった。赤はお目出度い色とされていた。ところが近年日本の結婚業者が進出し、白のウェディング・ドレスを大宣伝した結果、白いドレスの披露宴が流行りだしている。中国では白装束は伝統的に葬式のときの正装に用いられ、縁起の悪い色だ。それが変質してきた。中国は歴史習俗を重んじる国なので、いつか日本の商業主義に毒された悪しき習慣として白いウェディングが槍玉にあげられないか、すこしばかり心配な現象である。
赤と白の色違い。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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