赤い靴底の負け戦

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 黒い羽織を脱ぐと、うらは真っ赤な色模様だったり、控えめの付け下げの着物を解くとあでやかな朱の襦袢だったり、裏や下に粋な趣向をこらす文化は日本の伝統衣装にあった。
 欧米の洋服にもそうした美意識はあったのかもしれないが、近頃のように下着が上着になったり、ミセブラとかミセパンのごとく、これみよがしのセクシャルな流行は付いていくのに難渋する。
 そんなドヤ・ファッションのなかで、しっかりと人気を保ってきたのが、真っ赤な靴底レツドソールのルブタンの靴、過ぐる日アラフォーのシックなカトリーヌから教えられた。本来あちらでは、靴は脱がないので、靴底が赤くとも誰も気がつかない筈だし、ベッドに入る時脱ぎ捨てたヒールが底を見せて赤いとき、すこしドキッとするぐらいのものだろう。がこのルブタンの靴はセレブから芸能人にまで支持されてきた。
 浜崎あゆみは香港で30足のまとめ買いをし、梨花は結婚式に履くためにパリの本店までオーダーしにいったというから、流行の力はバカバカしい。山田優、平子理沙、君島十和子みなルブタン好きとして有名だという。
 ところがこの春、サンローランが赤い靴底の靴を発表、怒ったルブタン側がニューヨークで100万㌦の損害賠償を求めた訴訟を提起、商標権の侵害、不正競争、出所の虚偽について争っていた。残念なことにこのほど連邦地裁の下した判決はルブタンの敗訴。これに喜んだのは中国のニセモノ・メーカー、さあ赤い中国ならぬ赤い靴底で世界を支配してやるとばかり、ルブタンの十分の一以下で赤い靴を製造、ファッション・セレブの引きずりおろしに躍起となり、さらに赤い靴底の大発生をたくらみ、価格革命の大戦争を仕掛けている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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