赤い欲望との半世紀

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 イギリスから「赤い靴」というミュージカル映画がきた。初めて出会ったミュージカルだった。ヒロインの想いとは関係なく赤いトーシューズが踊りだす。赤い靴が自由にファンタジーの世界に飛び込んでいく。その発想に刺激されて、三越劇場の舞台で、「ミュージカル赤い靴」を創作した。
 その頃、皇居前には赤い旗が押し寄せていた。赤は労働者の流した血の色だと教えられた。
 ジェラール・フィリップとダニエル・ダリューは、スタンダールの映画「赤と黒」に競演し、話題を呼んでいた。銀座並木通りには戦後初めての下着や「ジュリアン・ソレル」が開店した。
 パリで赤に感動した初めては、オペラ・ガルニエの緞帳だった。ギマールのカフェ・アントワーヌも赤だったし、ムーランルージュの楽屋の壁も天井も赤かった。
 ロシア革命50年に招待されたモスクワでは、この赤い広場の赤はもつとも美しいを意味する赤と説明を受けた。芸妓さんの襦袢の赤も美しく誘惑する赤だ。
 赤が情熱や興奮を誘う危険な色だと気がついたのは、人生後半になつてからだ。
 ルブタンのヒールの裏の赤に焦がれるセレブ達には、真っ赤な嘘が隠されている。
「欲望だけが真実だ」と叫ぶ、沢尻エリカのヘルタースケルターでは、赤が全編を覆っている。骨とメンタマとツメと髪と耳とアソコ以外、残りは全部ツクリモノというリリコは、蜷川実花・岡崎京子の赤い欲望を具体化したアンドロイドだろう。
 ふと手元を見たら、招福楼からの到来物に、濃い赤紙に墨で「うなぎ山椒煮」と書かれていた。横のテレビでは、ナデシコが赤いユニフォームに変わって走り回っている、ロンドンからのオリンピック中継だ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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