買い物移動車より御用聞きを復活せよ

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買い物移動車より御用聞きを復活せよ
 お米屋さんは勿論のこと、お肉屋さんも、魚屋さんも、八百屋さんも、それぞれに御用聞きというシステムがあった。朝一の牛乳屋さんから夕方のお豆腐屋さんまで日々の暮らしに必要なものは、みな商家さんの方からやって来た。だから夕方になってもお魚屋さんが見えないと、どうしたのかしら風邪でもひいんたんじゃない、といってお魚屋さんに果物を届けたりしていた。お刺身にしてほしい、焼き魚が食べたいわ、といえばそのように加工して届けてくれた。普通の家庭と商売人の距離がそれほどに近かった。だから御用聞きのみえる裏木戸や勝手口はいつも鍵がかかっていなかった。お正月のお餅も、お宅は伸し餅が二枚、丸餅がいくつ、お供えが五組、そして豆餅が一枚といったふうに、ちやんと記録してあって、確認のための御用聞きに改めてきた。そしてそれと一緒にカレンダーを届けてくれた。
 そんな昔を暮らしてきたので、表札もださず、鍵をかけ、同窓会名簿にも住所を隠して、プライバシー、プライバシーという近頃の風潮は不思議でならない。そんなに隠すことがあるのか、ひょっとして犯罪でも犯したことがあるのかと、勘ぐってしまう。
 ところで買い物難民がふえ、食料品や日々の必需品を買いに行けない「買い物難民」が全国で700万人に上ると発表された。過疎地の話ではなく、都会の真ん中でも深刻な問題になっているそうだ。
 そこで大手スーパー、コンビニがそろって移動販売に乗り出すことになった。各社とも「買い物困難地域への対応は企業の社会的責任」などといかにもの地域社会への貢献をかかげているが、そんものはお笑い草だ。そもそもの小売業というものはユーザー一人一人に寄り添ったもので、その為の御用聞きがあった。そういうものを全部なくして利益一辺倒の経営をしてきた結果が、買い物難民を産んだという自覚がない。
 いま日常必需品までスピーディに届けてくれるアマゾンの出現で、慌てているのは小売屋一同なのだ。水やティシュはアマゾンに注文、ドアの前まで来るから楽なのよ、そんな知人もいる。移動販売も結構だが、この際いっきに御用聞き平成版を考えた方が、いいのではないだろうか。


コメント

1件のフィードバック

  1. らでぃっしゅぼーやを利用したのは、引きこもりで100mも離れていないコンビニにさえ買い物に出かけられず身の危険を感じたからでしたw
    近所のスーパーではネットスーパーをしているらしく店員さんが商品を選んでいるのを見かけたりします。
    御用聞き良いですね
    サザエさんの三河屋さんを不思議に見ていましたが
    思い返せば正月の支度用に毎年来る魚屋さんとか
    父のスーツの採寸に来る仕立て屋さんとかいました!
    でも、物騒な世の中でもあるので御用聞き要員が善良な人で構成されるのを願うばかりです。

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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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