前の大勧進の貫主はひどかった。
地元の女子アナとの色事にふけり、もっともらしくお軸を書きまくり、売りまくっていた。
ある時、魯山人の器でいただく茶事の席を共にしたことがあった。初めから器の値段ばかりの話をしている。
よほどお金のことが気になる坊さんだなと不思議だった。
その内、事件を起こし一山の住職さんから糾弾され、何年もの裁判を経てようやく善光寺から追い出した。
紆余曲折を経て比叡山からの新しい貫主が決まり、善光寺への晋山式が無事終わった。
その新しい貫主さんの初めてのお話がきけるというので期待して伺った。
説話の始まる前、記録担当の記者がメモ取りの説明をするや、貫主は色をなして「私のはなしには著作権がある。記録など聞いてない!!」一瞬なんことかと耳を疑った。
坊主は説教してなんぼのもので、有識者相手の説話など感謝してすべきものをいきなり著作権といいだした真意を測りかねた。
が話が始まって納得したのは、関西の芸人と千何百回のラジオ出演をしたという自慢話。つまり話をするという商売にどっぷりはまって、自分の話は常に金銭…ギャラをもらうことに慣れて、坊主の本分を忘れた「エコ坊主」だということが理解できた。
統一教会の献金問題、創価学会の財務問題、今世間をさわがせているもろもろの宗教に関する病根をみたような気がした。
坊さんが辻説法をやらなくなったのが著作権問題だとすると、仏教も地獄に落ちたというべきかもしれない。
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す