NHKかテレ東か、というのが、今テレビ愛好家のキーワードになっている。
TBSやフジの不況を横目にテレビ東京は不思議な人気に湧いている。硬派から軟派まで、番組の顔ぶれが揃っている。長い間の貧乏が報われた。
「開運! なんでも鑑定団」人間の欲が万華鏡のごとくに見えてくる。金欲、ものの欲、人の欲にとどまらずものの歴史を見せ、最後に真贋でクライマックスを迎える。普通の人々のドラマがある。
「YOUは何しに日本へ?」空港で捕まえた外人に無遠慮に付きまとう。何しに日本へ?日本娘にプロポーズしにきたという外人から、ただ日光へ行きたいという自転車マニュアの外人、まったくの観光なしにひたすら日光街道を自転車で走る。その後姿に心うたれる。
さまぁーずが、ぶらぶら歩くだけの「モヤモヤさまぁーず2」エリア・スポット歩きの「出没! アド街ック天国」裏番組の豪華ふしぎ発見よりはるかに面白い。
硬派番組でも、「ワールドビジネスサテライト」「ガイヤの夜明け」「カンプリア宮殿」まで、ビジネスマンご用達が並ぶ。貧乏ゆえの工夫が番組に個性を作り出し、スターのいないことが、いやスターを使えなかったことがかえって強みになった。六本木の新社屋への引越しが、逆に類型的テレビ局への道にならないことを祈っている。
貧乏テレビの黄金時代
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す