谷桃子の美貌と憂愁

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谷 桃子
 松竹少女歌劇でもなく、宝塚歌劇でもなく、第三のレビューとして人気を集めていたのが、日劇ダンシング・チームだった。
 女だけの松竹、女だけの宝塚にたいして、日劇には男と女のダンサーがいた。
 女が化けた男が好きな観客は、ズカやショウチクに足しげく通った。レビューには、男も女もいなければ不自然という観客は日劇に通った。
 当時のレビユーはなんでもありだった。 ラテン、カンカン、スパニッシュ、アイリッシュ、ハワイアン、コサックからラインダンス、日本舞踊、はては クラシック・バレエまであった。
 だから初めてのバレエは、レビューのなかの白鳥の湖だったり、くるみ割り人形だったり、いまにして思えば、稚拙なクラシックバレエ風な出し物だったが、それでも幼い好奇心には、充分な満足すべきエンターテイメントだった。
 その戦後まもない日劇ダンシング・チームに、ひと際目立った可愛い踊り手がいた。
 上品で愛くるしく、とにかく可愛い踊り手、それがさる四月二十六日に亡くなった谷桃子さんだ。
 振付にきていた小牧正英に見初められ、戦後初めてのバレエ団合同の東京バレエ団(いまある東京バレエ団とは違う)ではプリマを務めた。
 彼女のブロマイドはマルベル堂でも売られたほどの凄まじい人気だった。
 白鳥のオデット姫、眠りの森の美女のオーロラ姫、ジゼル、…… 
「軽やかさ、その憂愁、そのエレガンス」と三島由紀夫に言わしめた谷桃子は、天国に旅立ってしまった。 

合掌


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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