誰も知らない蛍の里

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 窓の外には必ず二宮金次郎の銅像があった。幼心に勉強しなければ、といつも教えられた。
 蛍の光窓の雪、自然の光と共に学ぶという当たり前のことを二宮金次郎という銅像を通して絶えず教えられた。蛍光灯どころか、LEDの時代になってしまった今、あの二宮金次郎は何処へ行ってしまったのだろう。
 軽井沢に移り住んで以来、30年お世話になっている東洋医学の先生がいる。針、灸、吸引、低周波、レーザー、あらゆる方法で患者に対応してくれる。その大窪先生夫妻から声がかかって、誰にも知られていない「蛍の里」へ行った。。
 真っ暗な道をたどり、泥濘を超えて、川の流れが聞こえる小さな水門のあるところについた。車を降り、藪をくぐると、小さな光の乱舞する不思議の世界があった。
 小さな蛍は小さな光を明滅させながら、静かにゆったりと飛んでいた。人寄せパンダにされてしまった東京ホタルフェスティバルの蛍なんかより、はるかに幸せそうに明滅している。
 軽井沢にも人寄せパンダの発地ほたるの里などあるが、そうした思惑のない川影で短い命を紡いでいる蛍たちのなんと美しいことか。
 また来年もこの蛍の里に足を運ぶことができたら、そう念じつつ短い命の蛍に別れを告げた。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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